溺れた人を引き上げたら、まず水を吐かせる。——それ、もう昔の話なんです。
救急外来にも、夏は溺れた方が運ばれてきます。現場に居合わせた方が、逆さに抱えたり背中を叩いたり、必死に水を吐かせようとしていた。そんな話を聞くことがあります。
気持ちは痛いほどわかります。昔は、そう習ったから。私も子どものころ、プールサイドでそう教わった記憶があります。でも今は、その時間がいちばんもったいないんです。
溺水で足りなくなるのは「酸素」
溺れた人の体で起きているのは、ざっくり言えば酸素切れです。水のせいで呼吸ができなくなり、体、とくに脳への酸素が途絶える。だから救命の勝負は「どれだけ早く酸素を送り直せるか」で決まります。
一方、水を吐かせる処置は、この勝負に貢献しません。飲み込んだ水は胃に入っているものが多く、吐かせたところで呼吸は戻らない。それどころか、逆さに抱えたり腹部を圧迫したりすれば、吐いたものを気道に詰まらせる危険すらあります。
つまり「水を吐かせている時間」は、酸素を送れたはずの時間をそのまま削っているんです。
引き上げたら、やることはシンプル
- まず自分の安全。助けに入った人が二人目の溺水者になる事故は、実際にあります
- 引き上げたら、反応と呼吸を確認する
- 反応がなければ119番通報。人がいれば手分けする
- 普段どおりの呼吸がなければ、ためらわず心肺蘇生を始める
水を吐かせる工程は、この中のどこにも入りません。蘇生の途中で自然に水や吐物が出てくることはありますが、それは顔を横に向けて対応すればいい。「吐かせてから始める」ではなく「始める」が正解です。
元気そうに見えても、受診してください
もうひとつだけ。引き上げたあと本人がケロッとしていても、水を吸い込んだ可能性があるなら受診してほしいです。時間が経ってから呼吸の具合が悪くなることがあるからです。「大丈夫そうだから様子見」で夜を越すのは、賭けになります。
善意で行われる「水を吐かせる」を、責める気にはなれません。ただ、その善意の数十秒を胸骨圧迫に回せたら。救急外来でそう思ったことが、一度や二度ではないんです。
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参考文献
- 救急蘇生の標準的なガイドライン・教科書における、溺水傷病者への対応(水の排出を試みないこと・心肺蘇生の優先)の記載